指先の感覚がなくなるほどの、真冬の吹雪を覚えている。
高校を出てすぐに入った建設会社で、初めて配属された現場。
凍える手でコンクリートを均しながら、俺は「誰かがこの“現場の現実”をきちんと記録して残さなければ」と、ただ漠然と考えていた。
あれから20年以上が経ち、俺は現場監督として、そして「建設現場のリアルノート」というブログを書く人間として、多くの現場と人に会ってきた。
景色は変われど、悩みは変わらない。
特に最近、耳にタコができるほど聞くのが「今の若手はすぐに辞める」という嘆きの声だ。
給料が安いから?休みが少ないから?
もちろん、それも一因だろう。
しかし、本当にそれだけだろうか。
この記事の目的は、若手が辞める本当の理由、つまり彼らが口に出せない「見えない壁」の正体を突き止め、明日からあなたの現場で実践できる具体的な処方箋を提示することだ。
机上の空論じゃない。
これは、現場の泥とデータの狭間で俺が見てきた、生きた建設の話だ。
もしあなたが、一人でも多くの若者にこの仕事の誇りを伝えたいと願うなら、どうか最後まで付き合ってほしい。
現場は、まだ変えられる。
なぜ若手はヘルメットを脱ぐのか?データが語る不都合な真実
「最近の若者は根性がない」
酒の席で、何度この言葉を聞いただろうか。
だが、感情論で片付けていては、何も始まらない。
まずは客観的な事実、つまりデータを見てみよう。
建設業における若手(2021年3月卒)の3年以内離職率は35.6%。
特に高卒者に限れば43.2%にも上る。
これは、4人入社したら、3年後には2人近くが現場を去っている計算だ。
この数字を前に、「個人の根性」だけで問題を片付けるのは、あまりにも乱暴すぎる。
さらに深刻なのは、辞めていく若者と、残された俺たちとの間にある「認識のギャップ」だ。
会社側は離職理由を「作業が身体的にきつい」「本人の職業意識が低い」と考えがちだ。
しかし、当の若者たちが挙げる理由は「雇用が不安定」「休みが取りづらい」「労働に見合う賃金が低い」といった、より構造的な問題が多い。
つまり、俺たちが「気合いで乗り越えろ」と思っていることを、彼らは「そもそも乗り越えるべきではない、改善すべき問題だ」と捉えている可能性がある。
このすれ違いこそが、若手の心が現場から離れていく第一歩なんだ。
現場は嘘をつかない。
若者が辞めていくという事実は、現場が何らかの悲鳴を上げているサインに他ならない。
「給料や休日」だけではない。若手がぶつかる3つの“見えない壁”
待遇改善はもちろん重要だ。
だが、それだけでは根本的な解決にはならない。
俺が多くの若手と話してきて感じるのは、彼らが待遇という「見える条件」以上に、もっと内面的な「見えない壁」にぶつかって苦しんでいるという事実だ。
壁①:憧れと現実のギャップ――「地図に残る仕事」の裏側
「地図に残る仕事がしたい」
目を輝かせて入社してきた若者の多くが、この言葉を口にする。
素晴らしい志だ。
しかし、その大きな夢と、日々の現実との間には、あまりにも大きな溝がある。
入社して最初に任されるのは、測量の補助や資材の片付け、現場の写真撮影といった地味な作業の繰り返し。
もちろん、その一つひとつが巨大な建造物を支える重要な礎であることは、俺たちベテランは知っている。
だが、その意味を十分に伝えられないまま「とにかくやれ」と指示だけが飛んでくる。
若者からすれば、自分が今やっている作業が、あの巨大な橋のどの部分につながるのか、全く見えない。
「地図に残る仕事」の華やかさだけを夢見ていた彼らにとって、この現実はあまりに退屈で、やりがいのないものに映ってしまう。
このギャップに耐えきれず、「思っていたのと違った」と現場を去っていくケースは後を絶たない。
壁②:成長実感の欠如――「いつになったら一人前になれるんだ?」という焦り
「俺の背中を見て育て」
この言葉は、もはや通用しない。
昔ながらの徒弟制度のような環境は、若手から「成長している実感」を奪ってしまう。
35歳の頃、俺は大きな失敗をしたことがある。
納期に追われるあまり、無理な工程を現場に押し付け、結果として重大な施工ミスを引き起こしてしまった。
あの時、若手の一人が「このやり方、少し危険じゃないですか?」と声を上げてくれたのに、俺は「大丈夫だ、俺を信じろ」と耳を貸さなかった。
数字や図面しか見ていなかった俺は、現場で働く人間の声を無視したんだ。
今思えば、あの時の若者は、ただ不安だっただけじゃない。
自分なりに考え、より良い現場にしようと意見を言ってくれたんだ。
その小さな成長の芽を、俺は権威で摘み取ってしまった。
若者は、自分が成長していると感じられないと、途端にモチベーションを失う。
「いつまで経っても雑用ばかり」「何も任せてもらえない」
そんな不満が、やがて「この現場にいても、自分は成長できないんじゃないか」という焦りと絶望に変わっていく。
成長とは、任された仕事をやり遂げた時の達成感の積み重ねだ。
その機会を奪う現場に、未来はない。
壁③:属人化と孤独感――「誰に聞けばいいか分からない」という不安
建設現場の技術は、ベテラン職人の経験や勘といった「属人化」したスキルに支えられている部分が大きい。
「この作業は〇〇さんしかできない」
そんな状況は、一見するとプロフェッショナルに聞こえるが、若手にとっては絶望的な環境だ。
マニュアルもなく、体系的な指導もない。
分からないことがあっても、現場は常に動いていて、誰もが忙しそうだ。
「こんな初歩的なことを聞いて怒られないだろうか」
「誰に質問すればいいかすら分からない」
そんな不安が、若者をどんどん孤独にしていく。
質問できない環境は、単に成長を妨げるだけじゃない。
安全すら脅かす。
分からないまま作業を進めた結果、ヒヤリハットや事故につながるケースだってあるんだ。
ベテランの暗黙知に頼りきった現場は、若者を孤立させ、心と身体の両方を危険に晒している。
明日からできる「辞めない現場」への処方箋
では、どうすれば若者が辞めない現場を作れるのか。
大掛かりな制度改革や、莫大な投資が必要なわけじゃない。
机上の正論より、泥の中の知恵を。
明日から、あなたの現場で始められる3つの処方箋を提案したい。
処方箋①:「作業」を「仕事」に変える――“今日の1m”の意味を語る
若手にただ「あれをやれ」「これをやれ」と指示するのはもうやめよう。
それは「作業」の指示であって、「仕事」の依頼ではない。
大切なのは、今やっている地味な作業が、プロジェクト全体の中でどんな意味を持つのかを、具体的に語ってやることだ。
例えば、測量の補助をさせるなら、こう伝える。
「今から打つこの杭1本が、ビル全体の基準になる。この1mmのズレが、最上階では数cmのズレになるんだ。だから、お前のその目がこのビルの精度を決める。頼んだぞ」
こう言われれば、単なる杭打ち作業が、責任と誇りのある「仕事」に変わる。
工程管理は、料理の段取りと全く同じだ。
野菜を切る作業も、最終的に美味しいカレーを作るためだと分かっていれば、退屈な作業にはならない。
今日の作業が、1ヶ月後、1年後にどんな形になるのか。
その全体像を見せてやることこそ、上司や先輩が最初にすべき仕事なんだ。
処方箋②:小さな成功体験をデザインする――「できた!」が若手を育てる
若手の成長には、小さな成功体験の積み重ねが不可欠だ。
いきなり大きな仕事を任せる必要はない。
むしろ、少し頑張ればクリアできるくらいの、絶妙な難易度の目標を与え続けることが重要になる。
そのために、まずは「評価」の仕組みを見直してみてほしい。
| 悪い例 | 良い例 |
|---|---|
| 「見て盗め」と放置する | 具体的な目標(例:1週間でこの測量機器を一人で使えるようになる)を設定する |
| ミスした時だけ叱る | できたこと、成長した部分を具体的に褒める(例:「先週より測量のスピードが上がったな」) |
| 年に一度の面談しかない | 毎日、終業時に5分でもいいから「今日の仕事どうだった?」と声をかける |
| 仕事の結果だけで判断する | 仕事に取り組む姿勢や、改善しようとした工夫を評価する |
ほんの少しの工夫でいい。
「できた!」という手応えは、若手の自己肯定感を高め、次の挑戦への意欲を引き出す。
彼らが自信を持って仕事に取り組める環境を、意図的にデザインしてやることが俺たちの役目だ。
処方箋③:「教える」を仕組み化する――メンター制度とDXの活用
「誰に聞けばいいか分からない」という若手の孤独は、仕組みで解決できる。
その最も有効な手段の一つが「メンター制度」だ。
業務の指示は上司や職長がする。
でも、仕事の悩みや人間関係の不安は、年の近い先輩が一番相談しやすい。
新入社員一人ひとりに、相談役となる先輩(メンター)を一人決めてやる。
それだけで、若手の心理的安全性は格段に高まる。
「教える側」の先輩社員にとっても、指導経験を通じて自分自身の成長につながるというメリットがある。
さらに、BIM/CIMといったDXツールも、単なる業務効率化の道具ではない。
これは、ベテランの経験や勘を「見える化」し、技術を共有するための強力な武器だ。
3次元モデルを使えば、図面だけでは分からなかった完成形や納まりが直感的に理解できる。
若手でもプロジェクトの全体像を把握しやすくなり、ベテランとの知識の差を埋める助けになる。
実際に、テクノロジーで建設業界のアップデートを目指すブラニューのような企業は、現場の属人化解消に繋がるようなツールを提供しており、こうした外部サービスを上手く活用するのも一つの手だろう。
「教える」という行為を、個人の資質や善意に任せる時代は終わった。
メンター制度のような人と人との繋がりと、DXのようなテクノロジー。
この両輪を回して、「教える文化」を現場に根付かせていく必要がある。
まとめ
もう一度、この記事の要点を振り返ろう。
- 若手が辞めるのは「根性がない」からではなく、現場に構造的な問題があるからだ。
- 給料や休日といった「見える条件」以上に、「憧れとのギャップ」「成長実感の欠如」「孤独感」という3つの「見えない壁」が彼らを苦しめている。
- この壁を壊すために、明日からできることがある。それは、「仕事の意味を語り」「小さな成功体験をさせ」「教える文化を仕組み化する」ことだ。
俺は、建設業という仕事に誇りを持っている。
何もない場所に、人々の生活の基盤を創り上げる。
これほどダイナミックで、社会に貢献できる仕事はそうそうない。
だからこそ、この仕事の未来を担う若者たちに、早々にヘルメットを脱いでほしくないんだ。
彼らが感じている壁は、俺たちが少し意識を変え、行動することで、必ず取り払うことができる。
この記事を読んだあなたが、明日、現場で隣にいる若者にこう声をかけることから、すべては始まる。
「今日の仕事、どうだった?何か困っていることはないか?」と。
一歩でも、安全に、確実に。
一緒に、若者が希望を持てる現場を作っていこうじゃないか。
俺たちは、同じ業界を支える仲間なんだから。



