「この設備、まだ十分に使えるのに、なぜもう更新してしまうのだろうか」。
これは、私がビル設備管理の現場に30年以上身を置いてきた中で、幾度となく抱いてきた疑問です。
はじめまして。
横浜でビルメンテナンスを専門とするライターをしている、村上と申します。
大学で建築を学んだ後、建物の“裏側”を支える設備管理の仕事に魅了され、空調、電気、給排水といった設備の維持管理に携わってきました。
現場では、メーカーの推奨年数を過ぎたという理由だけで、まだ元気な設備が次々と新しいものに交換されていく光景を何度も目にしてきました。
もちろん安全は最優先ですが、その判断の裏には、担当者の思い込みや記録不足といった、少し残念な背景が隠れていることも少なくありません。
私はこれを「もったいない更新」と呼んでいます。
この記事でお伝えしたいのは、単なる節約術ではありません。
建物の設備という大切な資産とどう向き合い、その価値を最大限に引き出すかという、設備管理の核心に迫る考え方です。
長年の経験で培った知見をもとに、設備更新の適正な判断基準と、資源・コストを最適化するための具体的な視点をお伝えします。
設備更新の基本を押さえる
設備更新を考えるとき、多くの人が「寿命」という言葉を使います。
しかし、この「寿命」にはいくつかの種類があることをご存じでしょうか。
この違いを理解することが、賢い判断の第一歩となります。
設備には「寿命」だけでなく「状態」もある
一口に「寿命」と言っても、実は3つの異なる意味合いがあります。
- 法定耐用年数: 税法上で定められた、減価償却計算のための年数です。設備の物理的な寿命を示すものではありません。
- 設計耐用年数: メーカーが設計時に想定した、標準的な使用条件下での寿命の目安です。
- 実用耐用年数: 実際の使用環境やメンテナンスの質によって決まる、本当の意味での寿命です。
大切なのは、年数という数字だけで判断するのではなく、日々の稼働状況やメンテナンス履歴に基づいた「今の状態」を正確に把握することです。
法定更新と実際の運用寿命のギャップ
法定耐用年数はあくまで税務上の数字であり、これを過ぎたからといって、すぐに設備が使えなくなるわけではありません。
むしろ、適切なメンテナンスを行えば、法定耐用年数を超えて安定稼働する設備は数多く存在します。
以下の表は、主要な建築設備の法定耐用年数と、一般的な実用耐用年数の目安を比較したものです。
設備の種類 | 法定耐用年数(目安) | 実用耐用年数(目安) |
---|---|---|
空調設備(セントラル) | 15年 | 20~25年 |
空調設備(個別) | 6年 | 10~15年 |
ポンプ類 | 10年 | 15~20年 |
照明設備(LED以外) | 15年 | 10~15年 |
受変電設備 | 15年 | 20~30年 |
このように、両者には大きなギャップがあることが分かります。
このギャップこそが、賢い設備管理の腕の見せ所となるのです。
メーカー推奨年数と現場判断の違い
メーカーは安全を最優先し、様々なリスクを考慮して推奨年数を設定します。
これは当然のことであり、一つの重要な指標です。
しかし、現場の管理者は、その設備が置かれた特有の環境を知っています。
例えば、使用頻度が低い、負荷が軽い、定期的な清掃や部品交換を徹底している、といった好条件が揃っていれば、推奨年数を超えても問題なく稼働できるケースは珍しくありません。
メーカーの推奨は尊重しつつも、最後は現場の目で「状態」を見極めることが不可欠です。
「もったいない更新」が起きる理由
では、なぜ本来不要な「もったいない更新」が起きてしまうのでしょうか。
その背景には、いくつかの構造的な問題が潜んでいます。
担当者交代による“安全第一”思考の連鎖
ビル管理の担当者が異動や退職で交代することはよくあります。
後任者は、前任者がどのような意図でその設備を運用してきたのか、詳細な引き継ぎがなければ分かりません。
そうなると、万が一のトラブルを恐れるあまり、「よく分からないから、とりあえず推奨年数で更新しておこう」という“安全第一”の思考に陥りがちです。
この判断が繰り返されることで、まだ使える設備が早期に交換される連鎖が生まれてしまいます。
点検記録の不備が招く判断ミス
設備の「状態」を客観的に判断するための最も重要な資料が、日々の点検記録やメンテナンス履歴です。
この記録がきちんと残されていないと、担当者が交代した際に、設備の“健康状態”を把握する術がありません。
結果として、頼れるのはメーカーの推奨年数という数字だけになり、過去の経緯を無視した画一的な判断につながってしまうのです。
丁寧な記録こそが、未来の無駄なコストを防ぐ最良の策と言えます。
補助金や予算消化が判断を歪めることも
省エネ設備への更新を促す補助金制度は、うまく活用すれば非常に有効なツールです。
しかし、時としてこれが判断を歪める原因にもなります。
- 「補助金が出るから」という理由が先行し、更新の必要性を吟味しなくなる。
- 年度末の予算消化を目的として、緊急性の低い工事を発注してしまう。
- 本来は部分的な修理で済むはずが、補助金を使うために全体更新へと話が大きくなる。
補助金や予算は、あくまで目的を達成するための「手段」です。
いつの間にか、それ自体が「目的」になっていないか、常に自問自答する姿勢が求められます。
見極めのための5つの視点
それでは、具体的にどのような点に注意すれば、「もったいない更新」を防ぎ、適切な判断を下せるのでしょうか。
私が現場で常に意識してきた、5つの視点をご紹介します。
1. 稼働状況と使用頻度を正確に把握する
同じ設備でも、24時間365日稼働しているものと、平日の昼間しか稼働しないものでは、劣化の進み具合が全く異なります。まずは、その設備がどれくらいの頻度と負荷で使われているのか、実態を正確に把握することが基本です。
2. 部品交換で済むのか、全体交換が必要か
不具合の原因が、特定の部品の摩耗や故障であることは非常に多いです。その場合、全体を交換するのではなく、原因となっている部品のみを交換すれば、機能は回復します。メーカーの部品供給期限を確認しつつ、部分的な修繕で対応できないかを第一に検討しましょう。
3. トラブル発生の兆候を現場から聞き取る
設備は、大きなトラブルが起きる前に、必ず何らかのサインを発します。異音、振動、異臭、わずかな水漏れなど、日常的に設備に接している現場の作業員だからこそ気づける「小さな変化」に耳を傾けることが重要です。図面やデータだけでなく、現場の生きた情報に価値があります。
4. メンテナンス履歴と過去のトラブル傾向
過去の点検記録や修理履歴を遡って分析します。どのようなトラブルが、どのくらいの頻度で発生しているのか。その傾向を見ることで、今後の故障リスクを予測できます。特定の箇所で故障が頻発しているなら、それは更新を検討すべき重要なサインかもしれません。
5. エネルギー効率の視点から見る「更新の意味」
古い設備を使い続けることは、修繕費だけでなく、日々の光熱費という形でもコストに影響します。最新の省エネ設備に更新することで、どれだけ電気代やガス代を削減できるのか。この「ライフサイクルコスト(LCC)」の視点で比較検討することが、賢い投資判断につながります。更新は「コスト」ではなく、未来の経費を削減する「投資」と捉えるのです。
現場で見た“本当に賢い更新”
言葉だけでは、なかなかイメージが湧かないかもしれません。
ここでは、私が実際に現場で経験した3つの事例をご紹介します。
実例1:ポンプ設備を10年延命させた保守戦略
ある商業ビルで、メーカー推奨年数を5年超過した排水ポンプがありました。担当者は更新を計画していましたが、私は稼働音や振動が安定している点に着目。過去の記録を調べ、定期的なグリスアップとパッキン交換が丁寧に行われていることを確認しました。そこで、更新ではなく「予防保全の継続」を提案。結果的に、そのポンプはさらに10年、大きなトラブルなく稼働し続け、数百万円の更新費用を先送りできました。
実例2:電気設備の部品更新で済ませた判断
工場の受変電設備で、一部の遮断器に不具合が見つかりました。当初の見積もりは、安全のためにと周辺設備も含めた大規模な更新で、費用は1,000万円を超えていました。しかし、詳細な劣化診断を実施したところ、問題は特定の遮断器の内部部品の摩耗だけだと判明。その部品を取り寄せて交換することで、費用を約50万円に抑えることができました。全体を疑う前に、原因を特定する姿勢がコストを大きく左右した例です。
実例3:更新を見送り、逆にトラブルが起きたケース
一方で、失敗例もあります。あるオフィスビルで、空調の室外機から異音が発生していました。私は更新を推奨しましたが、オーナーは「まだ冷えているから」と判断を見送りました。その数か月後、真夏の一番暑い日に室外機が完全に故障。ビルのテナントは数日間エアコンなしで過ごすことになり、営業補償の問題にまで発展しました。これは、目先の更新費用を惜しんだ結果、より大きな損失を生んでしまった典型的なケースです。
設備管理における“老い”との付き合い方
長年この仕事をしていると、ビルの設備管理は、まるで人間の体のメンテナンスのようだと感じます。
人間の体と同じく、経年とともに見直しが必要
若い頃は多少の無理がきいても、年齢を重ねれば定期的な健康診断や生活習慣の見直しが不可欠になります。
ビルも同じです。
竣工当初のままの運用を続けるのではなく、建物の“老い”に合わせて、管理の方法を柔軟に見直していく必要があります。
「使い切る美学」と「予防保全」のバランス
「もったいない」という精神は大切ですが、その意味を履き違えてはいけません。
設備は、壊れるまで使い切るのがエコなのではありません。
壊れる前に、賢く手を打つことで機能と安全を維持し、結果として資産価値を守ること。
これが本当の意味でのエコであり、経済合理性なのです。
故障してから慌てて対応する「事後保全」ではなく、トラブルを未然に防ぐ「予防保全」へ。
この発想の転換が、設備の寿命を健やかに延ばす鍵となります。
建物も高齢化社会:維持管理の姿勢が問われる時代へ
日本社会の高齢化と同時に、私たちが利用する建物の多くも高齢化、いわゆる「高経年化」を迎えています。
これからの時代、新しいものを次々と建てるのではなく、今ある建物をいかに長く、安全に、そして快適に使い続けていくか。
このような社会全体の課題に対し、より大規模なプラント設備の分野でも同様の視点が重要視されています。
例えば、発電所や工場のメンテナンスを牽引する太平エンジニアリング株式会社の代表である後藤悟志氏のような経営者も、設備のライフサイクル全体を見据えた維持管理と、それを支える人材の重要性を強調しています。
私たちビルオーナーや管理者の、維持管理に対する姿勢そのものが問われています。
まとめ
設備を「更新すべきか、せざるべきか」という問いに、唯一絶対の正解はありません。
その答えは、一つひとつの現場にしかないのです。
大切なのは、メーカー推奨年数や法定耐用年数といった画一的な基準に頼るのではなく、現場で起きている事実と向き合うことです。
- 設備の“声”を聞き、稼働データと現場の知見の両方で判断する。
- 「もったいない」の本当の意味を考え、「予防保全」の視点を持つ。
- 短期的なコストだけでなく、ライフサイクルコストで物事を捉える。
こうした視点を持つことが、無駄な出費を抑え、建物の資産価値を賢く守ることにつながります。
この記事が、皆さまの現場で「本当に賢い更新」を考える一助となれば、これに勝る喜びはありません。